一言法語

真高寺住職 伊澤孝順

 禅宗では、坐禅という修業があります。座禅とは、坐して行なう禅定(ぜんじょう)で有ります。禅定とは、落ち着いた心を意味します。

 その為に参禅学道(坐禅に参ずること)して事故の真理を徹底的に追及して明らかにすることにあります。

 初めて坐禅を体験された方は、良く足が組めないとか足がしびれて痛いとかで長く続かない人が多いですが、少しづつ慣れて来ると足の痛みもなくなり、ほとんどの人が睡魔におそわれて来ます。この様な肉体的な苦痛と戦い、また心の中は常に煩悩と闘いながら、自己の究明どころではない状態であります。しかも年数を重ねて功を得るものでもなくひたすら坐禅にはげむことの「只管打坐(しかんだざ)」が坐禅の修行であると考えます。