室町時代
享徳年間(15世紀中頃)
創建。開祖太厳存高禅師。
将軍義政より中本寺の寺格と御朱印地を拝領。寺号を、真高寺とする。
慶長七年(1602)
飯給は、久留里藩領となる。
家康より朱印地十五石を拝領。末寺七ヶ寺を有す。
江戸時代
延宝六年(1678)
この頃、月舟宗胡の扁額を掲げる。
享保十年(1725)
十六世日山覚照の時に、山王権現像修理。
寛保二年(1742)
十九世久峰昌桂の時に、諸堂破損再建を始める。
寛政三年(1791)
初代武志伊八郎信由、真高寺山門の妻飾蟇股などの彫刻を始める。
寛政五年(1793)
二十一世智學桂秀の時に、山門上棟式。
寛政七年(1795)
二十世江巖泰玉の時に、
山門竣工。(風鐸の紀年銘から)
明治時代
明治元年(1768)
戊辰戦争の不幸火によって、山門以外の諸堂を消失。
明治四十二年(1909)
千葉県知事の認可を得て、再建に着手。
大正時代
大正九年(1920)
二十九世禅巖楳心の時に、山門大修理。(一階小屋裏墨書)
昭和時代
昭和二十九年(1954)
三十二世即通哲龍の時に、山門平瓦葺替工事。
昭和五十四年(1979)
三十三世清潭哲也の時に、養老渓谷霊園開設。
昭和五十五年(1980)
鐘楼堂再建工事。大梵鐘竣工。
昭和六十二年(1987)
山門が市原市指定文化財に指定。
平成時代
平成二年(1990)
真高寺檀信徒会館・庫禅落慶。
平成十七年(2005)
現住、三十四世般有孝順の時に、山門解体修理竣工。
※当寺の開基については、これまで『市原郡誌』所収の記事を用いて享徳二年としてきましたが、真里谷真如寺の成立年代や、上総武田氏の上総国入部ならびに真里谷城築城時期を考慮すると、やや齟齬が考えられます。また、享徳年間については、公式には4年間で改元されますが、公方足利成氏は文明五年まで「享徳」の年号を使っていますので、新しい史料の発見をみるまでの間は、暫定的な表現として「享徳年間」と幅を持たせることにしました。